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「月照・信海両上人誕生の地」記念碑移築完成報告会

ページID:0007237 更新日:2014年6月29日更新 印刷ページ表示

「月照・信海両上人誕生の地」記念碑移築完成報告会

平成26年6月29日に「月照・信海両上人誕生の地」記念碑移築完成報告会が開催されました。
この移築は平成26年3月県道拡張のために移築されたもので、今回の移築により、碑が牛額寺
のほうに向くように設置されました。

善通寺市長をはじめ多くの来賓の方からお祝いのことばをいただきました。

市長スピーチ写真

碑に対して、牛額寺住職が読経をしました。

碑に経をささげる牛額寺住職

この式典に、京都の清水寺学芸員坂井輝久さんが出席してくださいました。

清水寺住職坂井さんのスピーチ風景

最後は参加者一同で記念写真を撮りました。

記念写真

その後、竹森家において、清水寺学芸員坂井輝久氏より「清水寺での月照・信海両上人について」
の講話をいただき、両上人の足跡についてお伺いしました。

講話風景

参加者からも多くの質問があり、充実した時間となりました。

講話風景2

【講話要旨】
吉原出身の月照・信海は幕末に清水寺において行き詰っていた財政の立て直しにつとめました。
清水寺の財政再建を達成するにあたり、本山である興福寺への働きかけを画策し、近衛家、
天皇家とのつながりを深めていきます。そして勤皇僧として孝明天皇に仕え活躍することになり
ます。
月照はのちに西郷隆盛とも交流を深め、明治維新のために奔走しました。しかし、安政の大獄の
際に幕吏に追われ、西郷隆盛と共に錦江湾に入水し死去します。西郷隆盛は一命をとりとめ後に
大活躍することになります。
一方月照の弟である信海は江戸で獄中死をとげました。明治24年、ともに維新の功労者として、
月照は正四位、信海は従四位を贈られました。