ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

金倉寺

ページID:0012599 更新日:2015年3月19日更新 印刷ページ表示

鷄足山宝憧院金倉寺

  金倉寺写真

 今日は、善通寺市内で最も有名な寺のひとつ、金倉寺を紹介します。

 正式には鷄足山宝憧院金倉寺(けいそくざんほうどういん)といいますが、こちらは四国霊場88ヶ所第76番札所です。天台宗寺門派の園城寺の末寺で、本尊は薬師如来、脇に日光・月光両菩薩を安置しています。また、鎌倉時代の作で国の重要文化財の「絹本著色智証大師像(けんぽんちゃくしょくちしょうだいしぞう)」と室町時代の作で市の指定文化財の「絹本著色両界曼荼羅(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだら)」を所蔵しています。
 古くは景行天皇の血筋を引く和気宅成(わけのやかなり)が、父・道麿が宝亀5年(774年)に建てた仏殿をゆずり受け、道善寺と名付けたのが始まりといわれています。その宅成の子として弘仁5年(814年)に誕生したのが、円珍(智証大師)です。弘法大師の姪の子でもある円珍は、小さい頃から利発で、やがて天台宗比叡山延暦寺の5代座主となりました。
 その円珍が唐から帰り、原田の里にあった道善寺を誕生の地・金倉郷に移転し、延長6年(928年)に金倉寺と名前を改めたと伝えられています。当時は、南北8km、東西4kmの広大な敷地に132院建っていましたが、天文6年(1537年)の兵火によって全焼しました。現在の伽藍は17世紀中頃、高松藩主松平頼重公によって再興されたものです。
 明治になると、旧陸軍第11師団長の乃木希典が宿舎にしていたことから、寺には乃木将軍が使っていた文具や軍帽などの遺品が保存されています。境内には、訪ねてきた静子夫人をここで帰らせようとした「乃木将軍・妻返しの松」があります。 

 なお、写真は2014年の円珍乃木まつりのときの写真です。このときはあいにくの雨でしたが、このように幻想的な姿をみせてくれていました。ぜひ一度訪ねてみてください。

参考

デジタルミュージアム 金倉寺

金倉寺ホームページ