ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会事務局 > 生涯学習課 > 善通寺市デジタルミュージアム 天霧城跡 天霧山

本文

善通寺市デジタルミュージアム 天霧城跡 天霧山

ページID:0000708 更新日:2013年12月4日更新 印刷ページ表示

天霧城跡 天霧山

善通寺市デジタルミュージアム

天霧城跡 天霧山写真

 市の西北に位置する天霧山は標高381m。善通寺市、多度津町、三豊市にまたがっています。奇岩が多く、断崖絶壁に囲まれた自然の要害(地勢の険しい場所)で、その地形を生かして築造されたのが天霧城です。南北朝から戦国時代にかけてつくられました。
 天霧城主は香川氏で、貞治元年(1362年)の白峯合戦で南朝方の細川清氏を討ち取って勢力をもち、三野・多度・豊田の3郡を領地とし、ふだんの館を多度津本台山に構え、戦さのために天霧城を築きました。その後、細川氏の守護代として讃岐13郡のうち6郡を治めましたが、天正7年(1579年)に土佐の長宗我部元親に降伏し配下となります。さらに天正13年(1585年)の豊臣秀吉の四国征伐で敗退し、220年あまり住んだ城を捨てます。
 一説には香川氏は長宗我部氏との戦いで、天霧城に立てこもりましたが、城を囲んで水がなくなるのを待った長宗我部軍に、水があるように見せかけるため白米を流しました。最初は敵の目をごまかせましたが、通りかかった尼が「あれは水ではなく白米だ」と告げたため、たちまち攻め込まれて落城しました。尼は香川軍の落武者に斬り殺され、そのため「尼斬城」ともいわれたそうです。
天霧山の登山コース
天霧城跡へは善通寺市側からの登山道と三豊市の弥谷寺からの登山道がある。いずれのコースも登山口から約1時間30分。
(1)牛額寺から高速道路手前の側道に出て西に進み、小高いみかん畑まで行くと天霧城跡の案内板があります。ここから舗装道路に沿って山に登って行くと、道の右側に案内標柱があります。この先は上の地図を参考にしてください。
(2)弥谷寺からは境内の護摩堂前の表示に従って旧四国遍路道を東に進むと天霧城跡に出ます。この先は上の地図を参考にしてください。

天霧城跡 天霧山登山道地図

所在地

善通寺市、多度津町、三豊市にまたがる。
JR善通寺駅から牛額寺まで車で約15分。
ここから城跡まで歩いて約50分。

天霧城跡 天霧山地図