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善通寺市デジタルミュージアム 牛額寺 月照・信海像

ページID:0000722 更新日:2013年12月4日更新 印刷ページ表示

牛額寺 月照・信海像

善通寺市デジタルミュージアム

牛額寺 月照・信海像写真

 牛穴の隣りの広場には、月照と信海上人の像が立っています。月照は、文化10年に吉原村下所に生まれ、10歳で牛額寺の蔵海(ぞうかい)に弟子入りし、20歳で京都清水寺成就院の住職となりました。後に弟の信海に寺をゆずって勤皇運動に入り、幕府側に追われて九州へ逃げ、西郷隆盛とともに薩摩の海に身を投げました。西郷隆盛は助かりましたが月照は帰らぬ人となりました。弟の信海も牛額寺に弟子入りし、高野山で修業をつみ、成就院住職となりましたが、やはり勤皇運動で幕府にとらえられ、39歳で獄死しました。
 もとはブロンズ製の像でしたが、第2次世界大戦の金属応召で台座だけになり、昭和53年(1978年)に速水史郎氏作の石像に生まれ変わりました。

牛額寺 月照像写真

月照像

「大君の為には何か惜しからむ薩摩の追門に身は沈むとも」

牛額寺 信海像写真

信海

「西の海東の空と変れども心は同じ君が代の為」

所在地

碑殿町月信
吉原大池の北、高速道路をこえて牛額寺の北、大地蔵から歩いて約6分。
牛穴横の広場にある。

牛額寺 月照・信海像地図