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善通寺市デジタルミュージアム 善通寺伽藍

ページID:0050702 更新日:2013年12月4日更新 印刷ページ表示

善通寺伽藍

善通寺市デジタルミュージアム

伽藍写真

 空海の誕生の地である善通寺は、屏風浦五岳山(びょうぶがうらごがくざん)善通寺誕生院といい真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場88ヶ所第75番札所です。
 寺の創建は大同2年(807年)、唐から帰朝した空海が長安(現在の西安市)の青龍(しょうりゅうじ)寺を手本に弘仁4年(813年)までの6年の歳月をかけて建立しました。父佐伯直田公善通(さえきあたいのたきみよしみち)の名にちなみ善通寺と名づけたと伝えられ、高野山の金剛峰寺よりも京都の東寺よりも早くに建てられた真言宗最初の根本道場です。
 創建当時は四町四方(200ha)の敷地に、金堂や講堂など15のお堂が建ち並んでいたようですが、出土した瓦などにより創建は奈良時代で、当初は佐伯氏の氏寺ではなかったかと推測されます。その後は、幾度か荒廃、再建をくりかえしましたが、永禄元年(1558年)の戦火で堂塔伽藍はすべて焼け落ちました。しかし、高松・丸亀両藩の援助により次第に復興し、現在の姿に整えられました。
 東院は伽藍、西院は誕生院と呼ばれています。西院の御影堂の床下には、全く光のない中を歩いて弘法大師誕生の聖地をお詣りする戒壇(かいだん)めぐりがあります。

五重塔と香色山写真

 弘法大師(空海) 空海は、宝亀5年(774年)、多度郡屏風浦(現在の善通寺市)に、父・佐伯直田公善通(さえきあたいのたきみよしみち)卿、母・玉依(たまより)の3男として生まれました。幼名は真魚(まお)といい、11歳で讃岐国学に学ぶかたわら、叔父・阿刀大足(あとのおおたり)に学び、15歳で上京し18歳で大学明経科に入学した後、意を決して退学。仏教を志し霊峰や四国各地を歩きまわりました。
 延暦23年(804年)遣唐使として中国に渡り、長安で青龍寺の恵果和尚から真言密教を直伝され、真言宗第8祖となります。日本における真言宗の開祖であり、「三教指帰(さんごうしいき)」、「弁顕密二教論(べんけいみつにきょうろん)」、「文鏡秘府論」など多くの著作を残しました。また、書の大家であり、土木・建築・鉱業・自然科学・医療のさまざまな分野に才能を発揮し、日本初の庶民のための学校「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」を開校しました。
 帰郷した空海は、それまでにない独創的な設計とその人望で多くの人を集めて、満濃池の復旧工事を完成させました。承和2年(835年)、高野山で入定し、921年に「弘法大師」の諡号(しごう)(死後におくる称号)が贈られました。

所在地

善通寺町3-3
JR善通寺駅から歩いて約15分。
片原町通りをまっすぐ進み、突き当たりを右に曲がると正面が南大門。
境内は拝観自由。
ただし戒壇めぐりと宝物館は有料。
駐車場(200台)/有料(1回200円)。
問い合せ/Tel62-0111

総本山善通寺地図

総本山善通寺の配置図

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