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善通寺市デジタルミュージアム 善通寺誕生院 瞬目大師像

ページID:0007481 更新日:2013年12月4日更新 印刷ページ表示

善通寺誕生院 瞬目大師像

善通寺市デジタルミュージアム

この大師像は、弘法大師が唐に渡る前、母のために御影堂前の御影の池で、自分の姿を写して描いたとされています。鎌倉時代、土御門天皇御拝覧の時に、目をまばたきされたことから、この御尊号を下賜されたといわれています。御影堂奥殿に秘蔵されており、50年に一度、弘法大師御遠忌のみ御開帳されます。


弘法大師(空海) 空海は、宝亀5年(774年)、多度郡屏風浦(現在の善通寺市)に、父・佐伯直田公善通(さえきあたいのたきみよしみち)卿、母・玉依(たまより)の3男として生まれました。幼名は真魚(まお)といい、11歳で讃岐国学に学ぶかたわら、叔父・阿刀大足(あとのおおたり)に学び、15歳で上京し18歳で大学明経科に入学した後、意を決して退学。仏教を志し霊峰や四国各地を歩きまわりました。
 延暦23年(804年)遣唐使として中国に渡り、長安で青龍寺の恵果和尚から真言密教を直伝され、真言宗第8祖となります。日本における真言宗の開祖であり、「三教指帰(さんごうしいき)」、「弁顕密二教論(べんけいみつにきょうろん)」、「文鏡秘府論」など多くの著作を残しました。また、書の大家であり、土木・建築・鉱業・自然科学・医療のさまざまな分野に才能を発揮し、日本初の庶民のための学校「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」を開校しました。
 帰郷した空海は、それまでにない独創的な設計とその人望で多くの人を集めて、満濃池の復旧工事を完成させました。承和2年(835年)、高野山で入定し、921年に「弘法大師」の諡号(しごう)(死後におくる称号)が贈られました。
 

所在地

善通寺町3-3
JR善通寺駅から歩いて約17分。
総本山善通寺の誕生院にある。

御影堂地図