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善通寺史デジタルミュージアム 河田迪斉

ページID:0016683 更新日:2014年12月24日更新 印刷ページ表示

河田迪斎 1805年1月15日~1859年1月17日

河田迪斎

 我が国を代表する江戸時代後期の儒学者、河田迪斎は金蔵寺町の生まれです。迪斎は天性の資質に恵まれ、朱子学者の近藤篤山に師事し、江戸幕府直轄の教学機関であった昌平坂学問所昌平黌で学び、その後著名な儒学者佐藤一斎の養子となりました。後に幕府儒官の林家の塾頭につき、1854年のペリー再来航の際は林復斎にしたがって条約文を起草しました。また、同年に結ばれた日米和親条約の交渉時には翻訳や記録を担当し、交渉の中で「鎖国は時代の流れに合わない」と感じ、林復斎らに開国論を進言したと言われています。孫の河田烈は第二次近衛内閣の大蔵大臣を務めました。

 金蔵寺に隣接する新羅神社境内に、河田迪斎没後50年を機に、明治43年(1910)に建てられた大きな顕彰碑があります。

関連する文化財

金倉寺(新羅神社)