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善通寺史デジタルミュージアム 西行法師

ページID:0012371 更新日:2014年12月24日更新 印刷ページ表示

西行法師 1118年~1190年3月31日

 西行法師は平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人です。俗名は佐藤義清(憲清)といい、平泉三代で黄金文化を残した藤原氏と同族です。義清は若い頃から武芸はもちろんのこと、和歌や蹴鞠に優れていましたが、仏教にも深く心を寄せていたようで、23歳の時に突然、妻子と別れて出家し、仏道の修業と和歌を生涯の仕事としました。

 出家後は「円位」と名乗り、都周辺の寺や庵に暮らし、後に名を「西行」と改めます。30歳の頃、陸奥を旅した後は高野山を中心に修業しました。

 西行は51歳の時に崇徳上皇の鎮魂と空海の聖地探訪のために四国を旅しますが、その際に善通寺の玉泉院(久松庵)や曼荼羅寺付近の山里庵で3~4年を過ごしました。そのため、曼荼羅寺境内に昼寝石や笠掛桜、山里庵付近に生木大明神など多くの伝承地が残っています。

讃岐への旅は、人々の争いや人間のあさましさから逃れるためでしたが、讃岐が戦乱に巻き込まれたため、京都に戻りますが、その後、河内国(今の大阪)で73歳で亡くなりました。

 関連する文化財

 西行庵   曼荼羅寺(昼寝石・笠掛桜)  生木大明神