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市内の狛犬8(木熊野神社の狛犬)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月2日更新

善通寺市内の狛犬【木熊野神社の狛犬】

善通寺市内の神社には多くの狛犬が存在しています。古くは室町時代頃のものと思われる木造の狛犬があり、石造りのものについては、古いモノでは寛永、文政、安政などの時代に寄進されたとおもわれるものもあります。

狛犬というと、ご存知のとおり神社に奉納、設置された空想上の守護獣像です。
本来は「獅子・狛犬」といい、向かって左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬とされていました。一方で、右側には口を開いた「阿像」ですがそれは狛犬ではなく獅子だったとされています。また、この阿吽は日本独特の形です。他国ではこのようにはなっていません。また、おもしろいのが、現在「狛犬」とされているこの像は、形としては阿吽共に「獅子」の特徴のみがのこっているのに、「狛犬」と呼ばれています。

獅子座思想はインドが発祥といわれ、のちに中国に入ります。そして、霊獣好きでもある中国の人々の想像力により、獅子も羽や角を生やし、俗にいう「唐獅子」と呼ばれる派手な獅子像がうまれました。
それが、平安時代後期に日本に入り、双方獅子であったものが、上記の左は狛犬、右が獅子となったそうです。 そして神社の入り口を守るようになり、時代を経るにつれ形は「獅子」、呼び方は「狛犬」が定着した・・・と思われます。

本日は木熊野神社です。市内にはいくつかの木熊野神社がありますが、木熊野神社(中村)、西木熊野神社、東木熊野神社の三社について掲載します。

木熊野神社(中村)

木熊野(きくまの)と名づけられた神社は瓦谷、生野の原、西岡にもありますが、すべてここ中村の木熊野神社からの分霊といわれています。ここは、中村町の産土神(うぶすながみ)で、十二社権現または梛(なぎ)の宮と呼ばれていました。木熊野は紀伊熊野の意味で、もともとは熊野権現であったのを、明治の神仏分離令によって木熊野と改称、登録されたものです。

参考:デジタルミュージアム「木熊野神社」

 木熊野神社吽形写真 木熊野神社阿形写真

木熊野神社の狛犬ですが東西神社の阿形(下左写真)、鷺井神社の阿形(同右写真)と類似しています。
この喉元のくぼみかたや、鼻の上がり方、耳の伏せ方、蹲踞姿勢は熊本直向型に分類できると思います。

東西神社阿形写真 鷺井神社阿形

西木熊野神社

西木熊野神社は、総本山善通寺とも縁がある神社だそうです。
「昔は、祭りの際に善通寺の僧侶が馬にのってやってきていた」と記してある文書もありました。
取材時に総代の方々が、本堂内の木製の燈籠をみせてくれました。
かなりきめ細かい仕事をしている作品ですね。

木造燈左 木造燈右

さて、本題の狛犬です。
作者は「ムレ 石工和泉滝次」とありました。ここまで紹介した狛犬の中では一番遠方から運び込まれています。
本体高さ約93センチ、台座約22センチ、基壇約149センチとなっています。
顔だちは浪花型でしょうか。

西木熊野神社阿形 西木熊野神社吽形写真

西木熊野神社後姿

尾は団扇型です。

東木熊野神社

東木熊野神社の狛犬は旧319号線から見えるところに構えています。参道が長く、途中で土讃線をこえて、ようやく社叢をみることができます。

 東木熊野神社遠景写真

東木熊野神社の狛犬は砂岩製で、趣きのある台座の上に座しています。

作者は「石工横田幸造」と記してありました。稲木の荒魂神社の狛犬と同じ作者ですね。
本体高さ約81センチ、台座高さ約21センチ、基壇高さ約83センチです。

 東木熊野神社吽形 東木熊野神社阿形写真
この作者の作風としては、口周りをくちばしのように仕上げるところでしょうか。
荒魂神社のものも同様の特徴がみられます。
毛玉のつくりは非常にきめ細かいです。

東木熊野神社狛犬後姿

尾は流れ尾です。

次回は手間神社、讃岐宮の狛犬と、木徳新羅神社の獅子頭です。



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