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国指定史跡有岡古墳群

ページID:0037203 更新日:2020年4月29日更新 印刷ページ表示

国指定史跡 有岡古墳群

 善通寺市の市街地が見渡せる場所にある古墳群で、弘法大師の祖先ともいわれる豪族の墓群とも言われています。善通寺市では大小約400基の古墳が確認されています。なかでも有岡古墳群は同じ系統の首長墓とされる古墳が集まっていて、1984年(昭和59)に国の史跡に指定されました。

野田院古墳

  鶴ヶ峰の南のふもとにある樽池のほとりの大型案内板を目印に、大麻山に向かって林道を上がっていくと、標高400m、太古の火口を想像させる直径200mの窪地に野田院古墳があります。
 野田院古墳は、3世紀後半につくられた全長44.5mの前方後円墳です。前方部は長さ23.5m×最大幅13m×高さ約1.6mで、盛り土をした後に表面に石を置き、後円部は直径21m×高さ約2mで石だけを積んでつくった「積石塚」になっています。
 平成9年(1997年)からの発掘調査では、それまで確認されていた堅穴式石室の他にもうひとつの石室が発見され、ガラス玉や鉄剣、土師器(はじき)などが出土、古墳の周囲からは壷形土器が数多く出土しました。こうした副葬品は弥生時代の特徴をもつもので、もっとも古い時代の古墳と考えられます。
 また、中世には野田院という山岳仏教寺院があったといわれています。

王墓山古墳

 市街地をぬけ、善通寺・大野原線を西に進むと右手に見えるのが王墓山古墳です。史跡公園として整備されていて、古墳のまわりを巡ることも上にのぼることもできます。ここからは五重塔をはじめ市街地が見渡せます。
 古墳のまちでもある善通寺市では、大小400基もの古墳が確認されています。その中でも有岡古墳群は、同じ系図による首長の墓と考えられる古墳が集まっていて、国の指定史跡になっています。その有岡古墳群の中央部に位置しているのが、王墓山古墳です。
 6世紀半ばにつくられた王墓山古墳は、全長46mの前方後円墳。横穴式石室を持ち、石室からは須恵器などの土器類、首飾りなどの装飾品、武具・馬具類、大和政権が配下に入った地方豪族に渡したという金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)や銀象嵌(ぎんぞうがん)を施した鉄刀が出土しています。これらは貴重なものばかりで、市立郷土館に展示されています。

宮が尾古墳

 王墓山古墳から西に進むと、善通寺・大野原線沿いに御館(みたち)神社があります。ここは、古墳の一部を壊して神社が建てられたもので、古墳に埋葬された豪族がそのまま祀られたと考えられています。
 御館神社のすぐかたわらに古墳公園として整備されたのが、宮が尾古墳です。6世紀後半につくられた古墳で、主体部の長さ9m、両袖式横穴式石室になっています。
 昭和40年(1965年)頃の調査で、この古墳の壁面には線刻画が描かれていることがわかりました。このような装飾古墳は全国でも珍しく、四国では香川県でしか確認されていません。羨道(玄室に入る通路)には2体の武人像、玄室(棺を納める部屋)の奥の壁には人物群、馬に乗る人物、船団などが克明に線刻されています。この人物群は古代の殯(もがり)、つまり貴人が亡くなった時に本葬の準備が整うまでに行われた儀式の様子を描いたものと考えられ、全国的にも注目されています。
 実際の玄室には入れませんが、くわしく解説したパネルや壁画、石室の実物大模型などが展示されています。

磨臼山古墳

 生野町南部に横たわる標高121mの磨臼山に所在する前方後円墳で、山の自然地形を利用し、東側山頂部から西に向かって緩やかにのびる尾根上に立地しています。その規模は、全長50m、後円部直径28m、後円部高さ4m、前方部幅8m、前方部高さ2mです。主体部からは香川県国分寺町鷲ノ山産の石材を用いた船形刳抜式石棺が出土しています。有岡古墳群中の1基として、国指定史跡に指定されています。