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善通寺史デジタルミュージアム 月照・信海
月照・信海
月照・信海
月照(幼名宗久)と信海(幼名綱五郎)は、天霧城主香川信景の家臣竹森某を先祖とする竹森宗吉(後の玉井宗(たまいそう)江(こう))と高見島の玉井家の息女お久との間に長男・次男として、月照 千八百十三年(文化十年)、信海 千八百二十一年(※文政四年)に吉原町で誕生。ともに地元牛額寺、その後、京都 清水寺 成就院で叔父蔵海のもとに修業、住職となる。
幕末の尊王愛国の思想のもと、月照は明治維新の先導者西郷隆盛などと親交を得、奔走するが、安政の大獄による幕吏追及のため薩摩にのがれ、隆盛とともに錦江湾に入水死去(四十六歳)。隆盛は蘇生しその後維新の大功労者となった。信海は兄、月照などとともに活躍したことから捕縛され、江戸にて獄中死をとげる(三十九歳)。明治二十四年、ともに維新の功労者として、月照は正四位、信海は従四位を贈られた。
また、郷土の誇りである両上人がこの地で誕生したことを記念して、地元有志によって竹森家の所有地に昭和十年に建立された石碑が今も残ります。
※信海は文政元年誕生との説もあります。