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善通寺市文化財保護協会 会長 大河内 義雅さん 談
月照上人は、幕末期の尊王攘夷派の僧侶で薩摩の西郷隆盛とともに入水したことで知られる讃岐人。文化10年(1813年)善通寺市吉原町下所に生まれ、当時、叔父の蔵海が真言宗牛額寺の住職をしていたことからその弟子となり、出家得度した。
天保6年(1835年)月照は20歳で京都清水寺成就院の住職になる。
安政5年(1858年)井伊大老による「安政の大獄」が始まり、京都では勤皇運動に関わった者が次々と捕縛された。月照も危険人物の一人として追われる身となった。
死を覚悟した西郷は月照を連れ、日向に向け錦江湾に船をこぎ出した。沖合を過ぎた時、西郷と月照は身を投げたが、月照だけ死に西郷は奇跡的に一命を取り留めた。その時月照は46歳(享年)であった。月照上人のお墓は鹿児島県南林禅寺にあります。
信海(月照の弟)も牛額寺に弟子入りし得度した。
高野山で修行を積み、兄の後を継ぎ清水寺成就院の住職となったが、やはり勤皇運動で幕府に捕らえられ、江戸へ送られ39歳で獄死した。
二人の辞世(最期)の句
「大君の為にはなにか惜しからむ 薩摩の追門に身は沈むとも」(月照)
「西の海東の空と変われども 心は同じ君が代の為」(信海)
石像の近くには両上人は修行していた牛額寺があります。現在の牛額寺はさらに南側に移設していますが、鐘などは当時の状態のものをそのまま使用しています。
両上人が修行した牛額寺
現在の牛額寺(令和2年8月撮影)
移設された鐘
月照・信海上人の石像の近くには、霊牛が出てきた伝説が残る『牛穴』や岩を切って造られている仏様『磨崖仏』もあります。
牛穴(うしあな)
磨崖仏(まがいぶつ)
善通寺市吉原町で生まれ、生家の前には「両上人生誕の地」の大きな記念碑が建てられています。
月照上人の末裔でもある竹森さんにご協力をしていただき、月照上人が12か月の四季の景物を詠んだ自作和歌12首の和歌集(六曲屏風)を見せていただきました。
いなおき会(まちあるき団体)が行っている【月照上人にまつわるまちあるき】に参加すると運が良ければ、和歌集が見られるかもしれません。