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安造田三号墳モザイク玉調査報告会(まんのう町)

ページID:0015139 更新日:2015年8月9日更新 印刷ページ表示

安造田三号墳モザイク玉調査報告会

モザイク玉写真

善通寺市と同じ定住自立圏のまんのう町で8月9日に安造田三号墳モザイク玉調査報告会が開催されました。

今から25年前に発見されたもので、このモザイク玉は遠く西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)で造られたものである可能性が高いということがわかりました。
ちなみに、この古墳の発掘作業を当時善通寺市の学芸員笹川部長が監理をしていたこともあり、当日その当時の経緯について説明をしていました。こうしたご縁もあることから、善通寺市のホームページでもその一幕をご紹介します。

笹川部長写真

多くの考古学ファンの方が、来場していました。

報告会風景

25年前に発掘されたこのモザイク玉。当時、奈良文化財研究所などに問い合わせても、「見たことのないもの」と言われたそうです。「正倉院にもないものが四国からでてきたとは・・・」ともいわれたそうです。
日本の中で、西アジアの遺物等に詳しいとおもわれた現岡山市立オリエント美術館の先生に聞いたところ、黒海近辺の出土物に似たものがある旨教えてくれ、論文等資料をいただけたそうです。

こうしたことから、どのあたりのものかというところまでは推測できたのですが、それ以上の裏付け資料はなかなかありませんでした。このモザイク玉を壊さずにこの組成を知ることは当時の技術では不可能だったためです。

今回奈良文化財研究所の田村氏がこのモザイク玉の非破壊的手法で材質・構造調査を実施し、材質の組成分析からその生産地を推定したそうです。

要旨は以下の通り。

そもそも、ガラス自体の人工ガラスの誕生は紀元前3000年という説が有力です。
ガラスの主成分は珪酸SiO2です。
溶融するために非常な高温が必要ですが、より簡単に加工するために融点を下げる工夫としてまぜものをするようになります。
まぜものとしては、地中海ではナトロン、西アジアや南アジア、東南アジアではソーダ(Na2O)が多かったようです。
ナトロンはミイラの防腐剤に使われるものです。ローマ帝国により専売化されたことから、流通が制約されることとなりました。ソーダガラスは、石灰ガラスともいいます。ソーダ灰,石灰石,ケイ砂を原料にして,ドロマイト,アルミナなどを添加し,珪酸をより低い1400~1500℃で溶融して製作することができます。

ちなみに、地中海周辺地域のガラスは紀元前8世紀ごろからナトロンガラスが流通し、紀元後9世紀から植物灰ガラスが流通したそうです。中国では紀元前5世紀頃から鉛ガラス・鉛バリウムガラスが主流だったそうです。
南アジアから東南アジア地域は紀元前3世紀ごろから、高アルミナソーダタイプのソーダガラスやカリガラスが多かったそうです。

そして、このモザイク玉の産地と推測される西アジアは紀元前3000年頃から、植物灰ガラスが用いられていたと考えられています。

モザイク玉のX線CT写真

一方日本に目を向けると、大きく分けて鉛ガラス、カリガラス、ソーダガラスが流通していました。
ソーダガラスは、ナトロンタイプのソーダガラス、植物灰タイプのソーダガラス、高アルミナタイプのソーダガラス、植物灰タイプのソーダガラス等々に分類されるそうです。

プレゼン資料拡大図

今回のモザイク玉は、植物灰タイプのソーダガラスに属します。

今回のモザイク玉は次のような産地との結びつきがあるそうです。
1)酸化アルミニウムが少なく酸化カルシウムが多い→西のガラス
2)酸化マグネシウムと酸化カリウムが多い→植物灰ガラスで西アジアから中央アジアに分布
3)酸化マグネシウムが酸化カリウムより多い→西アジア(ササン朝ペルシア)の特徴

また、製造技法は、包み巻き法という手法に近く、西のガラスと関係が強いと考えられます。
さらに、ガラスの種類については、ササン朝ペルシア系の植物灰ガラス(酸化マグネシウムや酸化カリウムが1.5%以上でかつ酸化マグネシウムの含有がカリウムより大きい)の特徴をもっているそうです。

着色技法は、
紺色はコバルト着色で一部の植物灰ガラスとコバルト原料に伴う不純物の特徴が一致します。
白色はマンガンで消色した上で、酸化錫により乳濁させている(ササン・ガラスによく用いられる技法)
赤色は銅コロイド(ササン・ガラスによく用いられる技法)

このようなことから、西のガラスと関係がつよく、基礎ガラス材質がササン系の植物灰ガラスであったことから、西アジアが本資料の生産地と推定されたということです。

1000年以上前に、このモザイク玉はこれほどまでに遠くから長い旅を経て日本に伝わったんだとあらためて驚いた次第です。今回その推測にもう一つ根拠が加わったといえます。
善通寺市の出土ではありませんが、ご縁でこうした貴重なものの出土に立ち会えたことは幸運だと言えると思います。
これからも時々、定住自立圏内の情報をお伝えしていきます。