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善通寺市の水路

ページID:0015620 更新日:2015年8月27日更新 印刷ページ表示

善通寺市の水路

善通寺市の市街地を見ていると、多くの水路が枝分かれしているのを見かけると思います。
いくつか写真を撮ってみました。

水路写真1 水路写真2

水路写真3 水路写真4
上二枚は、水路を二つずつ分岐しているのが分かると思います。この上二枚は歩いて数メートル以内の距離にある水路を撮影したものです。下二枚は、短い距離の間に、三本に分岐している水路を撮影しています。
正直一本化すればいいのに・・・と思ったことがありますが、そもそもなぜこのような構造になっているのでしょうか。

昔は、地域の成り立ちも今とは大きく違っていました。善通寺市は高松藩・丸亀藩・多度津藩、公家領、寺領などの領地に分かれていました。さらに、その世界の中で、現在につながるさまざまな人間関係の枠組みが存在しています。たとえば次のようなものです。

氏子・・・宮郷・宮を中心とした関係
水利・・・水郷・水を中心とした関係
墓・・・墓郷・墓を中心とした関係
山・・・山郷・山を中心とした関係

ここでこの水路の成り立ちを握っているのは水利、つまり水を中心とした郷です。
水利というのは、特に農業が人々の生活の中心だった頃から長年かけて整えられてきました。この水郷に属する人々が、お互いの生活を守るために、平和に話し合い秩序を作り上げて現在に至っているものです。それが現在の水利にも生きているといえます。

ここで善通寺の水利についての話・・・はあえてせずに、別の地域の一例を示させていただきます。場所は近畿某所です。
つぎの写真をご覧ください。

水分石 

真ん中に不思議な石が見えると思います。
これをスケッチするとこうなります。

水分石スケッチ

ものすごく、拙いイメージ図ですが、上図が上から見たスケッチで、下図が横から見たスケッチです。三つの溝が設けられていて、ひとつづつが各々の水路につながっています。こののうち二つの溝に土嚢をかわるがわる置いていき、15日間でワンサイクルの水番を組んで水を流す方向を変えています。

 この石を分水石といいます。この地域の分水石を詳しく調べてみると、溝の深さが3寸、溝の幅が、9寸5分、7寸5分、1尺5寸となっています。この深さ・幅は、今なお変えられていません。この分水石で分かれた水は10の村に流れ込んだそうです。

この地域では江戸時代に、よその番にもかかわらず水を盗み、またその際に水番を大勢で打ち据え大怪我を負わせたという事件があったそうです。被害をうけたと主張する村が奉行所に訴え、地域ぐるみで解決した資料がのこっています。
この下流は裾野が広く、善通寺市同様に集落も複数の藩の領地となっていたわけですが、当然、上流の構造をいじることで水の量の増減が生じれば、その方々と複雑な利害調整をしなくてはならなくなります。
水路を改修するにしても、そこまで先祖代々により築きあげられた取り決めに従えば、少なくとも新たな争いを避けることが出来るわけです。だから、できる限り昔の状態のまま、水路を保とうとします。
これが、全国至る所で水路や分水石の形状を変えない理由であるのではないでしょうか。

さて、話は戻って善通寺市の水路です。この近畿某所の事例を見た後で、善通寺市の中心部にある水路の合理的とはいえない形状をみると、この地域の水路も代々受け継がれた、「取り決め」を形にしたものなのかもしれないと思うはずです。
この水路の改修の際には、話し合いが持たれ「分水石(善通寺市域あたりでは分岐(ぶんぎ)といわれます)の深さや形を保つように」ということになったそうです。ここまでに挙げてきた写真の分岐点のところには、昔の分岐の石が水路に埋まっています。よーく見てみてください。
いずれにしても、この地域の先祖代々によって歴史ある秩序が刻まれた、このきれいな水が流れる水路をこれからも保っていきたいですね。

水路写真5

みなさん、地元の水路についても興味をもって調べてみると、以外な発見があるかもしれません。おもしろい事例があったら、善通寺市ホームページ担当までお知らせください。