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木熊野神社秋期例大祭概要

ページID:0010645 更新日:2014年12月6日更新 印刷ページ表示

  木熊野神社の秋祭り(香川県の祭り・行事(香川県の祭り・行事調査報告書より)

地域の特色

「和妙抄」では中村郷に属し、中世には仲村庄が立庄され、近世以降、1890年までは仲村、市町村制施行を経て中村(大字)となり、1954年に中村町に変名される。
多少の地域領域の変動があるが、古くから続く河川を機軸とした地域単位である。
木熊野神社は空海の遠祖大伴氏が勧請したと伝えられ、『全讃史』には、「熊野十二所権現」『西讃府志』には「熊野十二社権現」と記載される。
境内には熊野神社から移植されたといわれるナギの樹生があり、ふるくは「なぎの宮」といわれていた。ナギは県内には自生せずに、熊野から移植されたとも伝えられている。

祭りの実際

行事は五つの統祖とよばれる木熊野神社の氏子組織が毎年輪番でおこなう。統祖は、畦田(あぜた)組、亀野組、御嘉礼(ごかれい)組、大坂屋組、下所組の5組があり各統祖には中心的役割を果たす元方と呼ばれる家がある(畦田組では乾家・神原家、亀野組では亀野家、御嘉礼組では大西家、大坂屋組では尾崎・瀬川家、下所組では松本家など)。江戸時代には庄屋をつとめた家である。これらの組では元方を中心とした血縁集団の場合もあり、同じ字内でも複数の組に分かれている場合や血縁集団が核となる場合もあり、単純な地縁集団では構成されていない。
一方統祖とは別組織で、字を単位とした獅子組も存在し(木熊野神社氏子)、弁天組、西下所組、乾組、宮西組、宮東組に分かれ、小字を中心とした集落で構成される。
統祖と獅子組は同一の組織ではなく、例えば西下所組に属する構成員が下所組(統祖)というわけではなく、大坂屋組に属する構成員が下所組(統祖)というわけではなく、大坂屋組に属するものもある。字を中心とした獅子組の成立は統祖より後出するものと考えられ、現在は校区内の字となっている。よって、木熊野神社の秋祭りの実施主体は輪番五つの統祖と獅子組による二重構造を呈することになる。

9月3日 オクジイレ(お籤入れ)

 旧暦8月1日(午節供)にその年の統祖で頭屋を決めるオクジイレを行う。頭屋を希望するものが二人以上ある場合(現在は、頭屋はあらかじめ決定されているが、形式上オクジイレを実施している)、氏名を記載した紙を丸めて土器に入れた後、大麻で土器の紙を吊り上げて最初に吊り上げた紙に記載されたものが頭屋となる。かつては神社拝殿で行われていたが、現在は各統祖(元方宅)で実施される。
その後、祭礼の日程を決めて拝殿前に掲示する。

9月17日 注連縄作り

注連縄はシメオロシ(注連おろし)の一週間前の日曜日に木熊野神社拝殿で作る。その製作には各統祖と神社総代が参加し、制作する注連縄は設置場所によって寸法、数量が定められる。製作した注連縄は頭家で使用するものは当日頭屋に運び、それ以外は神社拝殿で保管する。

9月23日 シメオロシ

神社の神輿蔵に保管しているゴジンヤ(御神舎)の組立器材を頭屋に運び込み、頭屋のカド(広庭)に組み立てる。ゴジンヤとは高さ2m、幅1.5m、奥行き1m程度の仮の社殿である。宮司は中紙幣3本と束ね紙幣(小さな紙幣を6本束ねたもの)2束をゴジンヤに入れて祀る。中紙幣は祭神の伊邪那美命・速玉男命・事解男命、小紙幣6本2束は熊野十二座の神々とされるが、実態は不明である。

祭りの進行についての打ち合わせがここで行われる。

9月29日 シオカワ神事

この日の朝、神社馬場の一角に統祖の幟を掲揚する。幟は統祖ごとに掲揚され、柱の支柱最上部には薄や榊、笹を取り付ける。
午前中のうちに神社の神輿蔵に保管している神輿を頭屋に搬入し、ゴジンヤの脇に安置するとともに、頭屋に保管していた御神幸の道具類を出し(社名旗、日月旗、四神旗、神剣と組み立てた3本の的板)、ゴジンヤの脇に並べる。
午後3時ごろ、頭屋、御由留輪(おゆるわ)、的、露払、元方のそれぞれの役にある者は神社本殿に集まる。御由留輪とは小さな桶で、寸法も定められているが(大-直径6寸7分、高さ外3寸7分、打ち3寸3分、小-直径6尺5分、高さは大と同じ。竹の輪は上が1本、下が二本輪)、現在はそれに近い寸法の既製品を購入している。
頭屋宅を出るとき、小御由留輪には地元でとれた白米を一升いれておき、大御由留輪と一緒に神社に持ってくるする。かつて、小御由留輪に入れるのは前年産の玄米であった。神社でお祓いを終えたあと、宮川へ向かう。宮川とは神社から数十mの地点にある出水(ですい)である。出水とは地下の伏流水が湧き出る和泉で、農業用水や生活用水に用いられ、神社周辺には数箇所の出水が見られる。各役にある者は下帯になり宮川で潔斎する。頭屋は白米のはいった小御由留輪をもって宮川に入り、沐浴するとともに白米を洗う。大御由留輪には宮川の水をいれ、白米の入った小御由留輪とともに神社拝殿に一旦供える。潔斎の途中、拝殿に保管していた注連縄や頭屋から持ち込んだ的板に宮川の水を浴びせて潔斎したあと、各場所に設置する。
その後、宮川と白米の御由留輪を頭屋に持ち帰り、白米は錦布で包み、大御由留輪の水には少量の塩を入れて、ゴジンヤにおさめる。白米は御神体となる。こうした宮川における神事をシオカワ神事とよぶ。
ゴジンヤに御神体をおさめた後、頭屋で作ったフクス(甘酒)をバケツにいれ、青竹を使って前後二人で担ぎ神社に向かう。その道中、出会った人に甘酒を振舞う。
同日午後5~10時には、神社境内の神楽台で神楽と浦安の舞が奉納される。神楽の斎灯火(さいとうび)にははずした古い注連縄が用いられる。神楽奉納時に各獅子組が三々五々訪れ、獅子舞を奉納する。このとき、木熊野神社の氏子付けも行われる。

9月30日 宵宮

 各獅子組はそれぞれ氏子宅で獅子舞を奉納する(家遣い・村遣い)

10月1日 御神幸

 御神幸には神輿が先に出て、各家々を練り歩く。神輿には2人の猿田彦(通称ダカ)が随行する。訪れた家の前では盛んに神輿を揺らす(「神輿振り)」。

午後2時ごろ、神輿と御由留輪の行列は時間調整をしながら、おおむね午後2時ごろ、お旅所のある薬師堂で合流する。このとき、同日午前中に家遣いを終えた各獅子組が神輿と御由留輪の行列の到着を待っており、到着後に獅子舞を奉納する。
御旅所の神輿台に神輿を安置し、神主による祝詞、宮司、頭屋、元方、統祖代表による玉串(ほうのう)、浦安の舞の奉納、同舞子が紅白の小餅投げを行った後、宮司がご神体である白米(御由留輪)をはじめて神輿のなかにおさめる(ミタマウツシとよばれるが、聴き取りではこのようなこのような語彙は確認できない)。御旅所での祭典には米(稲穂)、酒、塩、魚、昆布、野菜、果物、紅白の小餅が供物として供えられる。

お旅所での祭典後、各獅子組に続き、神輿、御由留輪の行列が神幸する。御神幸は定まった行程を進む。お旅所からジンゴジを経由し、かつてのお旅所である若宮神社(宮川の脇)、各統祖の旗を掲揚した場所(神社馬場)を経て、神社本殿にいたる。御神幸の途中それぞれの場所では獅子舞賀奉納され、その間神輿はその場にとどまる。
神輿が神社の鳥居を抜けた直後、御由留輪の行列の一部である3人の的役が鳥居に的板をうちつける。的はばらけ易くなっており、周辺に飛び散る。実際にはなかなか砕けず、数回鳥居に打ち付ける。その破片を各獅子組の構成員や参拝者が奪い合うが、その争奪状況は壮絶なものである。拾った的板の一部を神棚に供えると豊作になると今なお信じられている。(かつては、田の畦や米俵にさしておくと豊作のまじないになったと言われる。)
神輿は拝殿におさめられた後、御神体である白米が取り出され、本殿に奉納される。その間、各獅子組みは獅子舞を奉納する。

10月2日 ドウヤブリ(統破り)

 神幸の翌日にゴジンヤ・神輿・道具類を片付けたのち慰労会(ドウヤブリ)を行う。