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善通寺市デジタルミュージアム 智証大師降誕浴灌井伝承地

ページID:0000700 更新日:2013年12月4日更新 印刷ページ表示

智証大師降誕浴灌井伝承地

善通寺市デジタルミュージアム

智証大師降誕浴灌井伝承地写真

 市の北東、春日団地の西側に、智証大師が産湯につかったと伝えられる泉があります。「円珍産湯之井縁由(えんちんうぶゆのいえんゆ)」によると、弘法大師の姪にあたる母が円珍(智証大師)を身ごもった時に「大洋を航海中に朝日の昇るのを仰ぎ見て光り輝く太陽をその手にしたところ、太陽が口の中に飛び込んできた」という夢を見ました。非凡な星の下に生まれた円珍は、長じて天台宗寺門派の開祖となります。
 この泉は、庄屋の真光氏はじめ代々の土地の人々に大切に守られてきました。明治5年(1872年)まではここに仏名寺があり、大師の像が祀られていましたが、現在、その像は枇杷薬師堂(現玉泉院金林寺)に祀られ、泉の一角はきれいに整えられています

智証大師(円珍)

 円珍(えんちん)は、弘仁5年(814年)、那珂郡金倉郷(なかぐんかなくらごう)(現在の善通寺市金蔵寺町)で生まれました。父は和気宅成(わけのやかなり)、母は空海の姪にあたる佐伯氏です。15歳で比叡山に登り、天台宗座主の義真に師事、法名を円珍とし、12年間山にこもって修行を積みました。天子の命令によって、知徳の高い禅宗の僧侶に賜る称号「禅師(ぜんじ)」を得て、皇室で教えを説くようになりました。
 仁寿元年(851年)に唐に渡り、梵字悉曇(ぼんじしったん)(サンスクリット語やインドの言葉)、台教・密教などを学び、天安2年(858年)に帰国。翌年に園城寺(おんじょうじ)に唐院をつくり、唐から持ち帰った法具などを収蔵しました。貞観6年(868年)に延暦寺の5代座主に任ぜられ、園城寺を賜り天台宗寺門派の開祖となりました。
 教えを説いた弟子は100余人にのぼり、円仁(えんにん)、安然(あんねん)らとともに天台宗密教の歴史に偉大な業績を残しました。「法華論記10巻」、「大日教指帰」など多くの著書があります。寛平3年(891年)に亡くなり、諡号(いごう)として「智証大師」が贈られました。

智証大師肖像画写真

所在地

原田町東春日
JR金蔵寺駅から歩いて約20分。
春日団地の南西側。

智証大師降誕浴灌井伝承地地図