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善通寺市デジタルミュージアム 絹本著色両界曼荼羅


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印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月4日更新

絹本著色両界曼荼羅

善通寺市デジタルミュージアム

両界曼荼羅左写真 両界曼荼羅右写真

密教絵画の第一は曼荼羅で、その根本をなすものが両界曼荼羅です。この曼荼羅は、描法・技法ともに精緻で色彩も美しいまま良好に保存されています。室町時代のものと推測され、県内有数の優品といえます。市の指定文化財で金蔵寺が所蔵しています。

智証大師(円珍)

智証大師(円珍)写真

 円珍(えんちん)は、弘仁5年(814年)、那珂郡金倉郷(なかぐんかなくらごう)(現在の善通寺市金蔵寺町)で生まれました。父は和気宅成(わけのやかなり)、母は空海の姪にあたる佐伯氏です。15歳で比叡山に登り、天台宗座主の義真に師事、法名を円珍とし、12年間山にこもって修行を積みました。天子の命令によって、知徳の高い禅宗の僧侶に賜る称号「禅師(ぜんじ)」を得て、皇室で教えを説くようになりました。
 仁寿元年(851年)に唐に渡り、梵字悉曇(ぼんじしったん)(サンスクリット語やインドの言葉)、台教・密教などを学び、天安2年(858年)に帰国。翌年に園城寺(おんじょうじ)に唐院をつくり、唐から持ち帰った法具などを収蔵しました。貞観6年(868年)に延暦寺の5代座主に任ぜられ、園城寺を賜り天台宗寺門派の開祖となりました。
 教えを説いた弟子は100余人にのぼり、円仁(えんにん)、安然(あんねん)らとともに天台宗密教の歴史に偉大な業績を残しました。「法華論記10巻」、「大日教指帰」など多くの著書があります。寛平3年(891年)に亡くなり、諡号(いごう)として「智証大師」が贈られました。

 

 

 

所在地

金蔵寺町1160
JR金蔵寺駅から歩いて約5分。

金倉寺地図



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