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智証大師(円珍)

ページID:0010913 更新日:2014年12月24日更新 印刷ページ表示

智証大師(円珍) 814年4月8日~891年12月4日

絹本着色智証大師像 [絹本着色智証大師像より]

智証大師(円珍)

 智証大師(円珍)は平安時代の天台宗の僧で、空海の甥(もしくは姪の息子)にあたります。生誕地は那珂郡金倉郷(なかぐんかなくらごう:現在の金蔵寺町)で、原田町の住宅地に智証大師誕生の際に産湯を取った湧水地が残っています。幼少から経典になじみ、15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行に入り、天台宗第五代座主となりました。天台寺門宗の宗祖で、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人でもあります。

845年、役行者の後を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼した後、846年に延暦寺の学頭となりました。853年、新羅商人の船で入唐、途中で暴風に遭って台湾に漂着しました。

858年、唐商人の船で帰国し、しばらく金倉寺に住んでいましたが、その後、比叡山の山王院に移り、868年に延暦寺第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜り、伝法灌頂の道場としました。香川県出身の大師号を授かった讃岐五大師の一人としても数えられます。

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